SEISEI INSIGHTS — 相続・事業承継
住宅ローンが「消える」とき — 債務控除を決めるのは金額ではなく時点
2026-09-03
「父が残した家には住宅ローンが残っていましたが、団体信用生命保険で完済されました。返済の必要はありません」— ご相続の相談で、私たちは繰り返しこの説明を受けます。
保険金によってローンが弁済されるのであれば、ご遺族が返済を迫られないのはそのとおりです。ただし、返済の負担が生じないことと、相続税の計算上その債務を控除できることは、別の問題です。相続税法が債務控除に置いている要件は、金額でも契約の種類でもなく、その債務が相続開始の時点で存在し、かつ確実と認められることだからです。
条文が要求している二つの要件
相続税法第13条第1項第1号は、課税価格に算入すべき価額から控除できるものとして「被相続人の債務で相続開始の際現に存するもの(公租公課を含む。)」を掲げています。同項第2号は葬式費用です。
この「相続開始の際現に存する」という文言が、一つ目の要件です。控除の可否を決めるのは、被相続人が生前にどれだけの債務を負っていたかではなく、相続が開始した時点を基準に判断されるという建て付けになっています。
そして条文はもう一つ要件を重ねています。相続税法第14条第1項は「前条の規定によりその金額を控除すべき債務は、確実と認められるものに限る」と定めています。形式的に債務が計上されていても、確実と認められないものは控除の対象になりません。
つまり債務控除には、時点の要件と確実性の要件が重ねて置かれています。もっとも、この二つが要件のすべてというわけではありません。第13条には、控除できるのが「その者の負担に属する部分」に限られることや、非課税財産の取得・維持・管理のために生じた債務を控除額に算入しないこと(同条第3項)といった限定も置かれています。住宅ローンと保険を組み合わせた仕組みを検討する際は、少なくともこの二つを別々に確認する必要があります。
団体信用生命保険が置かれている位置
団体信用生命保険(団信)は、住宅ローンの借入れに際して加入することの多い保険です。被保険者である債務者が死亡した場合に、保険金によってローン残高が弁済される仕組みです。
ここで確認すべきは、保険金の受取人が誰に定められているかです。団信では受取人が融資を行った金融機関等とされているのが一般的で、その場合、相続人が保険金を取得するわけではありません。相続税法第3条第1項第1号は、被相続人の死亡により保険金を取得した場合について「当該保険金受取人について」課税関係を定めるものであり、しかもその対象は当該保険金のうち被相続人が負担した保険料の割合に対応する部分とされています。いずれにせよ、保険金を取得しない相続人にこの規定が及ぶ構成にはなっていません。
その帰結として、契約上そのような定めになっている場合には、次の二つを別々に確認することになります。第一に、ローン債務について前述の二要件(相続開始の際に現に存すること、確実と認められること)が満たされるかどうか。保険によって弁済されることが確定している債務については、相続人が負担すべき債務として控除の対象にならないと整理されるのが一般的な理解です。第二に、相続人は保険金を取得しないため、第12条第1項第6号が定める生命保険金の非課税限度額(500万円に第15条第2項に規定する相続人の数を乗じた金額)を、この保険について使う場面も生じないこと。個別の結論は保険契約および約款の定めに依存するため、実際の適用は契約内容の確認を前提とします。
不動産そのものは、非課税財産や特例の適用がある場合を除き、その評価額に基づいて課税価格に算入されます。
同じ物件でも、構造が変わる
| 相続開始時点の状態 | 不動産の取扱い | 当該ローンに係る債務控除 |
|---|---|---|
| 団信契約に基づき返済が免除され、相続人が支払う必要がない | 評価額のまま課税価格に算入 | 相続人が負担すべき債務として控除の対象にならないと整理される |
| 債務が残り、相続人が承継する | 評価額のまま課税価格に算入 | 「相続開始の際現に存するもの」(第13条第1項第1号)であり、かつ「確実と認められるもの」(第14条第1項)であれば控除の対象 |
誤解のないように申し添えます。これは団信に加入すべきでないという話ではありません。団信は、ローン債務の弁済を保障するために設計された仕組みであり、その目的に照らせば合理的な選択です。
ここで、素朴な理解 ——「団信を付けると、かえって相続税で損をする」—— についても整理しておきます。控除が失われることで相続税の負担が増えること自体はあり得ますが、その増加額が、弁済されたローン残高そのものを上回ることはありません。相続税の税率は100%ではないからです。
ただし、増加額が具体的にいくらになるかは、単純な掛け算では出ません。相続税の総額は第16条の定める手順——課税価格の合計額から基礎控除額を控除し、法定相続分に応じて按分したうえで税率を適用する——で計算され、各人の負担は、その総額を取得した財産の価額の割合で按分したうえで、各人ごとの税額控除等を加味して決まるためです。加えて、団信には保険料や金利の上乗せといった費用が伴い、保障の範囲も商品によって異なります。したがってここで申し上げられるのは「相続税の増加が弁済額を超えることはない」という限度であって、総合的な有利・不利は、費用と保障内容を含めて個別に比較しなければ判断できません。
申し上げているのは、保障としての効果と、相続税の計算上の効果は別の軸で動くということです。実務上の問題は損得ではなく、見積りの精度に現れます。相続税の試算をする際に、保険により弁済されることが見込まれるローン残高をそのまま債務として差し引いてしまうと、実際の課税価格より小さい数字が出ることがあります。納税資金の準備を含めて計画を立てる場面では、この差が効いてきます。
納税義務者の区分によっては、控除の範囲がさらに狭い
もう一点、国際的なご家族に関わる論点があります。第13条第1項が適用されるのは、第1条の3第1項第1号または第2号に該当する者、いわゆる無制限納税義務者です。
第3号または第4号に該当する制限納税義務者については、同条第2項が適用され、控除できる債務は国内財産に係るものに限定されます。もっとも、同項第2号は「その財産を目的とする留置権、特別の先取特権、質権又は抵当権で担保される債務」を掲げており、日本国内の不動産に設定された抵当権で担保されるローンは、この号に該当し得ます。一方で葬式費用は同項に掲げられていません。
つまり、同じ「日本の不動産と住宅ローン」であっても、取得者がどの納税義務者区分に当たるか——それは住所・国籍や被相続人の属性といった法定の事実によって決まります——に応じて、控除の枠組みが変わります。
試算の前に置いておきたい視点
この論点は、相続が起きてから気づかれることがほとんどです。基礎控除額は、相続税法第15条第1項により3,000万円と600万円に相続人の数を乗じた金額の合計額と定められています。課税価格がこの水準に近い場合、債務控除が使えるか否かは結論を左右し得ます。
先に置いておきたいのは、金額の大小ではなく、その債務が相続開始の時点で存在し、かつ確実と認められるものかという視点です。そしてその判断は、保険金の受取人が誰か、返済の免除や弁済に関する条項がどう定められているかといった、契約上の事実の確認から始まります。
本稿は一般的な税制情報の提供を目的とするものであり、個別の税務相談に該当するものではありません。具体的な申告・税額計算については、提携税理士をご紹介の上、有資格者が対応いたします。