SEISEI INSIGHTS — 相続・事業承継
生前贈与には、三つの経路がある — 暦年贈与だけでは動かないもの
2026-07-24
「元気なうちに、財産を少しずつ子どもへ渡しておきたい。毎年110万円までは非課税ですよね」。日本で資産を築かれた方から、私たちはこの相談を繰り返し受けます。答えは「そのとおり、ただしそれは入口の一つにすぎません」です。仮に3億円の資産を、子二人へ毎年110万円ずつ渡すとすれば、単純計算で百年を超えます。暦年贈与は生前移転の一手段ですが、それだけで大きな資産を動かすことはできません。日本の税制には、性質の異なる三つの経路が用意されています。
経路1 — 暦年贈与:少額を、時間をかけて
一つ目は暦年贈与です。贈与税は原則として一年間に受けた贈与から110万円を控除して課税されます(租税特別措置法第七十条の二の四による基礎控除の特例。相続税法第二十一条の五の本則は60万円で、110万円はこの特例によります)。子二人であれば年間220万円まで、課税されずに移転できます。
ただし、看過できない仕組みがあります。相続開始前の一定期間内に被相続人から受けた贈与は、相続財産に加算して相続税を計算し直します(相続税法第十九条)。この期間は従来の3年から7年へ順次延長されました。つまり、亡くなる前の直近期間に渡した分は、結果として相続税の課税対象へ戻ってくることになります。暦年贈与は「早く、長く」続けるほど非課税で移転できる枠が積み上がり、着手が遅れるほどこの加算の影響を強く受けます。
経路2 — 相続時精算課税:非課税ではなく「評価額の固定」
二つ目は相続時精算課税です。60歳以上の父母・祖父母から18歳以上の推定相続人等への贈与について選択でき(相続税法第二十一条の九)、累計2,500万円までの特別控除が認められます(同法第二十一条の十二)。これを超える部分には一律20%の贈与税がかかります(同法第二十一条の十三)。
注意すべきは、この制度は「非課税」ではないという点です。精算課税を選んだ贈与財産は、相続時に相続財産へ加算して相続税を計算します。その本質は減税ではなく「先に渡し、相続時に精算する」ことにあります。では、どこに意味があるのか。加算されるのは贈与時の評価額であるため、将来値上がりが見込まれる資産を早期に移せば、値上がり後ではなく移転時点の低い評価額で課税基礎を固定できます。非課税枠ではなく「評価額のロック」を得る制度、と捉えると位置づけが明確になります。なお2024年以降は、精算課税にも年間110万円の基礎控除が設けられ、この範囲は相続財産へ加算されません(租税特別措置法第七十条の三の二)。
経路3 — 扶養義務者間の支出:渡さず、使う
三つ目は、財産を「渡す」のではなく、扶養義務者として生活費・教育費を直接負担する方法です。扶養義務者相互間で生活費・教育費に充てるためにした贈与のうち、通常必要と認められるものは贈与税の課税対象になりません(相続税法第二十一条の三第一項第二号)。金額の上限や年数の制限はなく、相続前加算の対象にもなりません。ただし手元に残せば資産として残るため、あくまで「使う」ことによって資産総額が減る点に本質があります。
三つを、組み合わせる
| 経路 | 非課税の枠 | 相続時の加算 | 適する資産 |
|---|---|---|---|
| 暦年贈与 | 年110万円/人(租特法特例) | 相続開始前7年以内は加算 | 現金など |
| 相続時精算課税 | 累計2,500万円の特別控除+年110万円 | 特別控除分は評価額で加算 | 値上がりが見込まれる資産 |
| 扶養義務者間の支出 | 通常必要な範囲で非課税 | 加算なし | 教育・住居・生活 |
実務上の考え方は「AかBか」ではありません。現金は暦年贈与で、値上がりが見込まれる資産は精算課税で評価額を固定し、日々の教育費・生活費は扶養義務者として直接負担する — 性質の異なる資産を、それぞれに適した経路へ振り分けます。一点、同一の贈与者・受贈者の間では、いったん相続時精算課税を選択すると暦年贈与へは戻れません(相続税法第二十一条の九)。このため、子ごとに経路を分けるといった設計が現実的な選択肢になります。
生前贈与は、着手が早いほど暦年贈与の枠を長く使え、評価額の固定も早い時点で行えます。年度単位で枠が区切られる制度である以上、いつ・どの資産を・どの経路で動かすかは、年度内に計画しておく必要があります。
本稿は一般的な税制情報の提供を目的とするものであり、個別の税務相談に該当するものではありません。具体的な申告・税額計算については、提携税理士をご紹介の上、有資格者が対応いたします。